美容師 海外インタビューNo,10|スウェーデンと東京を繋ぐ唯一無二のグローバルキャリア whyte 浜本 忠勝(前編)

  • URLをコピーしました!

浜本 忠勝 (ハマモト タダカツ ) 神奈川県出身

スウェーデン・東京|美容師・Founder


都内の有名サロンを経て、2018年8月、原宿にヴィーガンビューティーサロン&カフェ「whyte (ホワイト)」をオープン。100%ヴィーガンのドーナツ「VENUTS」なども手がけ、2025年にはスウェーデン・マルメにも出店。心も身体もサスティナブルに、より自然に生きるライフスタイルを提案している。

Instagram  | @hama.hair_whyte | @whyte.tokyo | @whyte.malmo

Instagram  | @venuts_official

手に職を求めて。学生時代からの海外カルチャーへの興味から将来海外で仕事をするビジョンと手に職のその先にある可能性を信じ美容師へ。2018年 原宿にヴィーガンビューティーサロン「whyte」を立ち上げ、そして今、スウェーデンに店を持つまでの彼の異彩なキャリアストーリー。浜本忠勝さんの歩みは、「海外で働く」ではなく、「日本で理念あるブランドを育て、それを世界でチャレンジする」経営者として、創業者として、そして美容師 海外への独自の道を切りひらいてきた浜本さんに、まずはその原点と、whyte誕生の物語を聞きました。(前編・キャリア)

目次

手に職という道へ

もともと僕、ずっとテニスをやっていて、結構なスポーツ少年だったんです。でも、テニスのプロになるのは難しい、となったとき、進路を考えました。親からは大学進学も勧められて、なんとなく行く、という選択肢もあった。でも、「大学に4年間行ってから、就職先を決める」よりも、本当に手に職をつけた仕事になりたいな、というのが、一番最初の気持ちでした。

それで、いろんな専門学校の体験入学に、片っ端から行ったんです。音楽、パティシエ、ファッション、美容…。もともと、ファッションや音楽が好きだったので、その道も考えました。でも、実際にいろいろ体験してみたとき、美容師が、一番しっくりきたんです。

決め手のひとつが、当時の雑誌の存在でした。今でこそ、SNSやAIの時代ですけど、僕が学生のころは、雑誌がメディアの中で、すごく影響力を持っていた。その雑誌に出ている美容師さんたちが、みんな、本当に素敵だったんです。美容師って表舞台にも立てて、でも裏方の仕事でもあって、そのうえ、手に職。しかも、美容師という仕事は、場所を問わず、世界中どこでもできる。この「どこでもできる」というところに、強く惹かれました。

「海外で働く」は、最初から決めていた

実は、「海外で仕事をしたい」という気持ちは、美容師になると決めた、まさにその段階から、すでにありました。子どものころから、誰もやっていないこと、新しいことをするのが、好きだったんです。

そして、さっき言ったように、ファッションや音楽が好きだった。それって、ルーツをたどると、海外のカルチャーが多いじゃないですか。音楽ならUKのロック、アメリカのヒップホップやR&B、ファッションならパリコレ。自分が好きなものの源が、海外にある。それなのに、その本場に行かずに、日本だけでやる、というイメージが、逆になかったんです。ちゃんとルーツのある国で、自分も何か携わったり、そういった環境で仕事がしたい。そういう思いが、最初からありましたね。

あと、どの業界でもそうですけど、世界に飛び出して活躍する日本人って、すごく憧れるじゃないですか。野球なら大谷翔平選手、テニスなら錦織圭選手。分野は違っても、世界の舞台で戦う日本人に、勝手に憧れていたような気がしますね。美容師でも、そんな人になりたい、と。それから、あとで思い返すと、幼稚園のとき、1年半くらいアメリカに住んでいたことがあって。高校生くらいまでは、正直、その記憶も忘れていたんですけど(笑) 大人になるにつれて、「なんで自分は、こういうのが好きなんだろう」と考えたとき、「そういえば、アメリカに住んでいたな」と。そういう原体験が自分のルーツだったのかもしれません。

都内の有名サロンで過ごした7年間

専門学校を出て、新卒で、都内の有名サロンに入りました。そこで、7年間働きました。店長まで任せてもらって、現場だけでなく、経営に近いところまで、みっちり経験させてもらいました。本当に感謝していますね。

このサロンでの経験で、今の自分に一番繋がっているのが、「ブランドのつくり方」を、間近で見られたことです。というのも、そのサロンは、自社のプロダクト(ブランド)を持っていたんです。今でこそ、美容室が自分のブランドやオリジナル商品を持つのは珍しくないですけど、当時は、まだあまり一般的じゃなかった。そんな時代に、ゼロからブランドを立ち上げて、少しずつ育てていく。その過程の酸いも甘いも、師匠のすぐそばで、四六時中、見ていたんです。

ブランドが生まれる前から、立ち上がって、着実に広がっていくまで。その一部始終を、店長という立場で、フルコミットしながら経験できた。これは、のちに自分が独立するとき、本当に大きな財産になりました。「こうやって、ブランドは作るんだ」というのを、実体験として学べた。逆に、「自分だったらどうする?」という客観的な視点も持てた。今の自分の土台は、間違いなく、この7年間ですね。

ニューヨークで受けた、カルチャーショック 

20代前半のころから、「ニューヨークで美容師をやりたい」という思いが、ずっとありました。一人旅で行ったニューヨークが、本当にかっこよくて。「アメリカでやるなら、ニューヨークだ」と。そんなとき、ロサンゼルスで知り合った美容師さんが、僕を紹介してくれて、ニューヨークでディレクターをしている方と繋がったんです。その方が日本に来たときに会って、「いつかニューヨークで仕事がしたい」と伝えたら、「ファッションウィークのアシスタントで、よかったら来なよ」と。そんなご縁から、ニューヨーク・コレクションに、ヘアのアシスタントとして、3回ほど入る機会を得ました。

そのときのヘアチームが Davinesという、オーガニックでサスティナブルなブランドのチームだったんです。そして、仕事終わりに、チームのみんなでご飯に行くと、ベジタリアンやヴィーガンの人が、何人もいらっしゃいました。わざわざ専門店を探すわけじゃないのに、どのお店に入っても、必ずヴィーガンのメニューが用意されていました。

これが、僕には衝撃でした。当時の東京・原宿では、「ヴィーガン」なんて言葉、ほとんど聞いたこともなかったんです。原宿のど真ん中で働いていたのに、です。ニューヨークでは、どのお店にも当たり前にあるものが、東京には、まったくない。「これは絶対、日本にも広めるべきだし、これから、そうなっていくべきだ」3回目のニューヨークから帰ってきたとき、僕はもう、「独立するなら、ヴィーガンの美容室にしよう」と、心に決めていました。

「自分でやるしかない」と思った日

帰国して、すぐに、この思いを、当時の師匠に話したんです。「ヴィーガンの美容室を、やりたいんです」と。否定されたわけじゃないんですけど、すごく前のめりというわけではなかった。

その頃の僕には、まだお金もなかったし、すぐに独立できる状態でもなかった。だから、「今のサロンの中で、ヴィーガンのブランドとして何かできたらいいな」とも、考えていたんです。でも、タイミングや今のサロン状況の中で、「これは、自分でやるしかないな」と判断しました。そこからは、もう、トントン拍子でした。ヴィーガンについて、いろいろ調べて、知って。まだSDGsやサスティナブルという言葉が、今ほど浸透していなかった時代に、「自分が、日本で先にやる」と決断しました。

2018年、ヴィーガンサロン「whyte」を原宿にオープン

そして2018年8月、原宿に、ヴィーガンビューティーサロン「whyte(ホワイト)」をオープンしました。当時の日本では、ヴィーガンやサスティナブルを掲げるサロンは、まだ、かなり珍しかったと思います。

店名の「whyte」には、2つの意味を込めました。ひとつは「why」
 お客様の悩みを解決できるように、常に自分自身や社会に対してwhyを持ち続けるように、という意味。もうひとつは「white」ナチュラルで、こだわりのオーガニックなものを使って、体も心も清らかに “ホワイト”になれるように、という意味です。シャンプーもカラー剤も、できるだけ自然由来のものを使って、髪にも、体にも、そして環境にも優しい施術を目指しました。掲げたコンセプトは、「 Live Naturally ── より自然体に、生きていく」これは、僕らが変わらず追求していくビジョンでもあります。

カフェも、ドーナツも。サロンの枠を超えて

whyteは、ただの美容室ではなくて、カフェも併設しました。しかも、朝8時オープン。一般的なサロンより、かなり早いですよね。「サスティナブルや、より自然体な生き方を、ヘアや食に限らず、ライフスタイルとして提案したい」。そういう思いがあったんです。美容室に用がなくても、カフェにふらっと立ち寄れる。そんな、街に開かれた場所にしたかった。オープンの3年後には、すぐ裏に、2軒目となるwhyte villaもOPENしました。

カフェのメニューも、試行錯誤でした。美容室のほうは、最初から100%ヴィーガンにこだわっていたんですけど、カフェは、正直、最初はサンドイッチなど、ヴィーガンじゃないものも扱っていたんです。全部をヴィーガンにするのは、当時の時代としては、ちょっと早すぎるかな、という迷いもあって。でも、コロナをきっかけに、いろいろな状況が変わったとき、「このままでいいのか」と、みんなで見直したんです。そして、全部をリブランディングして、100%ヴィーガンのドーナツ「VENUTS(ビーナッツ)」に生まれ変わらせました。

これが、思いのほか広がって。世田谷にも店舗を出して、最終的には、VENUTSは事業として独立させ、今は別の会社が運営しています。もともとwhyteから生まれたものが、一つのブランドとして、独り立ちしていった感じですね。美容師としてスタートした僕が、この数年で、経営や飲食まで、いろんなジャンルを経験できた。技術職として毎日サロンにも立ちながら、これだけ幅広く経験できたことで、視野がすごく広がった。これは、本当によかったなと思っています。

なぜ、先に「日本でブランドを持つ」ことを選んだのか

ここが、僕の歩みの、ちょっと特徴的なところかもしれません。「海外で働きたい」と、ずっと思っていたのに、僕はまず、日本でwhyteを立ち上げた。順番として、先に海外へ行く道も、あったんです。専門学校を出てすぐ、あるいは前のサロンを辞めてすぐ、海外に飛び出すこともできた。でも、そうしませんでした。

なぜかというと、「海外に行くこと」自体は、僕にとって、ゴールじゃなかったからです。ただ一人の美容師として海外に行くのと、自分のブランドと“箱”を、ちゃんと持った状態で行くのとでは、まったく違う。「こういうブランドを立ち上げました」「ファウンダーとして、こういうことをしてきました」という実績がある。それは、目先のお金の利益よりも、ずっと価値があると思ったんです。

たとえば、日本での美容師経験が1年もないまま、パッと海外に出て、何年か暮らして、日本に帰ってきた—となったとき、じゃあ、その経験を、その後のキャリアにどう生かすのか。そこが、意外と難しい。でも、日本でちゃんとブランドと実績を築いていれば、海外に出たあとも、日本に戻ったあとも、その資産が生きてくる。だから僕は、店を持つことすら、ゴールじゃなくて、「持ったあとに、何をしたいか」を、いつも先に考えていた気がします。目の前のことだけじゃなく、少し先を見て、決めていく。そういう進み方を、ずっとしてきました。

次は海外へ。でも、行き先はLAではなかった

whyteが軌道に乗り、ドーナツの店も出して、「次は、いよいよ海外進出だ」と動き始めたのが、コロナ禍のころ。最初の候補地は、ロサンゼルスでした。何度もLAに通って、いろんな試験を受けたり、ビザを依頼したり、物件を探したり。とにかく、海外進出を目指して、必死に動いていました。

でも、これが、なかなか難しくて。ちょうど、アメリカがトランプ政権になるかどうか、というタイミングとも重なって、いろいろと行き詰まっていたんです。「どうしたものかな」と。そんなときでした。思いもよらない方向から、話が舞い込んできたのは。

運命の街、マルメ

あるお客様が、サスティナブルでエシカルな事業をされている方で。そのご縁で、「スウェーデンで美容室をやっている知人が、お店を誰かに引き継ぎたいと言っているけれど、興味ある?」と、声をかけてくださったんです。

正直、スウェーデンなんて、まったく考えていませんでした(笑) でも、その街—マルメというところなんですけど—マルメについて知っていくうちに、自分たちwhyteのコンセプトや、僕が考えていることと、街の空気や将来性が、驚くほどフィットしていたんです。

マルメは、スウェーデンで3番目に大きい街で、デンマークのコペンハーゲンから、電車でたった30分ほど。感覚としては、東京と横浜くらいの距離感なんです。海をまたぐ橋でつながっていて、EU圏内なので、行き来も自由。北欧の中では一番南にあるので、ほかのヨーロッパにも近くて、いわば「北欧とヨーロッパのハブ」のような位置。最近は、スタートアップ企業が、本社をこの街に移すことも多くて、これから、という活気のある街なんです。サスティナブルへの意識も高い。知れば知るほど、美容師 海外でするなら「ここだ」と、親和性を感じました。

それで、「一度、行ってみよう」と。2024年の12月に、初めてスウェーデンに行きました。現地で、元のオーナーだったスウェーデンの方と会って、話して、その場で「じゃあ、やります」と。そこが、すべてのスタートでした。

「断ったら、後悔する」

実は、その少し前に、アメリカのほうでも、投資家が見つかりかけていたんです。だから、スウェーデンの話を断って、アメリカに絞る、という選択肢もあった。でも、「こんな機会、なかなかない。ここで断ったら、きっと後悔する」と思って。もう、どっちもやるくらいの気合いで、「スウェーデンも、やります」と答えました。結果的に、アメリカの話は一度なくなって、今はスウェーデン一本。でも、あのとき断らなくて、本当によかった、と思っています。

僕は、新しいことを、誰よりも先にやる、ということに、価値を感じたりやりがいを感じるので、いわば、ファーストペンギン。ヴィーガンの美容室を日本で始めたときも、そうでした。だから、「絶対に大成功させたい」という気持ちは、実はそこまで強くなくて。まず、誰かがそこを突破する。その事実のほうが、大事だと思っているんです。たとえ、その事業が、いつか形を変えたとしても、「日本で初めてヴィーガンサロンをやった」「日系サロンとして、スウェーデンに挑戦した」という事実は、長い目で見たとき、文化になったり、時代になったりする。ずっと続けば、それがベスト。でも、もし仮になくなったとしても、その経験で、また新しいプロジェクトを始められる。だから、そこに固執しすぎず、どんどん新しいことにチャレンジしていく。そのほうが、僕はやっていて楽しいし、意味のあることだと思っているんです。

後編へ

こうして、原宿から遠く離れた北欧の街で、日本発のヴィーガンサロンを開くことになった浜本さん。でも、「海外に店を出す」という夢の実現は、そこからが、本当の始まりでした。法人設立、ビザ、そして文化の壁—。実体験から感じた日本と北欧の文化と思考と生活の差。後編では、浜本さんがスウェーデンで直面した苦難と、その挑戦の中で見つけた“北欧の思想や生活”について、話を聞きました。

浜本 忠勝 (ハマモト タダカツ ) 神奈川県出身 | 国際文化理容美容専門学校 渋谷校 卒業

スウェーデン・東京|美容師・Founder


都内の有名サロンを経て、2018年8月、原宿にヴィーガンビューティーサロン&カフェ「whyte (ホワイト)」をオープン。100%ヴィーガンのドーナツ「VENUTS」なども手がけ、2025年にはスウェーデン・マルメにも出店。心も身体もサスティナブルに、より自然に生きるライフスタイルを提案している。

Instagram  | @hama.hair_whyte | @whyte.tokyo | @whyte.malmo

Instagram  | @venuts_official


interview

海外美容師インタビュー

執筆/監修

目次