
森本 知有希 (モリモト チアキ) 1996年生まれ|大阪出身
アメリカ・ニューヨーク|ヘアメイク・美容師
日本で美容師としてデビュー後、ヘアメイクの師匠に師事。独立してフランス・パリへ渡り、現在はアメリカ・ニューヨーク 美容師としてサロンワークとヘアメイクの撮影の両方で活動中。
「ヘアメイクになりたい。多分、私のほうが、上手くできるはず。」まだ高校生だった頃の彼女のそんな“想い”から、すべては始まりました。一度、美容師になり、師匠に3年間アシスタントついた後、独立。そして、憧れの世界を追いかけて、フランス・パリへ。そして現在はアメリカ・ニューヨーク。サロンで働きながら、ファッションウィークのバックステージや撮影の現場で腕を磨く。ヘアメイクの最前線の世界を生きる日本人ヘアスタイリスト知有希さんに、そのキャリアの歩みを聞きました。
「私のほうが、上手くできる」から始まった

私がこの道に入ったきっかけ、ちょっと恥ずかしいんですけど、高校生のころ、「ヘアメイクさんになりたい」と思ったんです。しかも、「これ、絶対に私のほうが、上手くできる!」って。今思えば、完全な勘違いから始まっています(笑)
たまたま、その頃、後に私の師匠になるヘアメイクの方に、お会いする機会があって。大阪でバイトしていた店長さんの、大親友だったんです。「ヘアメイクになりたいんですけど、どうしたらいいですか?」と聞いたら、「一回、美容師になったほうがいいよ」と。撮影の現場で、モデルさんに「ちょっとカットして」と言われたとき、その場でできると、他の人よりプラスワンになるから、と。それで、「じゃあ、やるか」ってなったんです。
まずは、美容師の道へ
高校生の時、美容室でバイトをしていたのですが、シャンプーやドライしかやっていなかったので、”美容師、最高!楽しい!”という感覚ではなくて、でも、「美容師になってから、ヘアメイクになった方がいいよ」と言われていたので、美容の学校に行くことにしました。
通ったのは、大阪のECCアーティストという学校。美容師の学科と、ヘアメイクの学科があったんです。私はヘアメイクになりたかったので、ヘアメイクの学科へ。でも、美容師の免許も取るとなると、3年間通う必要があって。ちゃんと3年行きました。卒業して就職したのが、大手の美容室グループ。1年半でデビューしました。就職してすぐくらいから、「海外に行きたい」という気持ちが、芽生えていたんです。もともと、海外のメイクがすごく好きで。サロンのショーでは、メイクのチームに入って、いろいろやっていました。
思いがけないチャンス

まだアシスタントだった頃、うちのお店と取引のあったナプラという会社が、海外研修に連れて行ってくれる、という機会があったんです。行き先は、ミラノのファッションウィークのバックステージ。私は、ずっと「海外に行きたい」と、うるさいくらい言っていたので、店長が「行ってきなよ!」と、推してくれました。
最大の夢が叶った」瞬間

これが、私にとって、初めての海外研修であり、「最大の夢が叶った」瞬間でした。本場のファッションウィークの、バックステージ。その空気を肌で感じて、「私は絶対に、海外に行く」と、決心が固まったんです。ちょうど同じ時期に、会社の研修で、ニューヨークにも行かせてもらって、この2つの経験で、もう気持ちは固まりましたね。
師匠を追いかけて、東京へ

デビューから2ヶ月くらいで、美容室を辞めました。次にやりたかったのが、高校生のときに出会った、あのヘアメイクさん(師匠)につくこと。連絡先も知らなかったので、また、あの大阪の店長さんに連絡したんです。そうしたら、たまたま、その店長さんが、師匠と一緒にいて(笑)。しかも、ちょうど、前のアシスタントさんが卒業する時期で、アシスタント募集を出そうとしていた、と。すごいご縁ですよね。
そこから、東京で、師匠であるヘアメイクのKUBOKIさんにつきました。フリーランスで自分の美容師の仕事もしながら、KUBOKIさんのアシスタントを、3年間。みっちりです。「3年やったら、独立していいよ」という約束で、26歳の時、卒業して、独立させてもらいました。
NYもロンドンもダメで、最後にパリへ

独立して、すぐに、海外へ。師匠も、もともと海外に行きたい人だったので、「絶対に行ったほうがいい」と、背中を押してくれました。
最初は、ニューヨークに行こうとしたんです。でも、どう調べても、アーティストビザが取れない。学生ビザだと、お金がすごくかかる。「これは無理だ」と。次に、ロンドン。でも当時ロンドンのワーホリは抽選で、応募したけど、落ちちゃって(笑) それで、最後の最後に、「じゃあ、フランスに行ってみるか」と。パリに、ワーホリビザで行くことにしました。
フランス留学のエージェントさんに、ワーホリビザの手続きやフランス語の書類の翻訳などを手伝ってもらって。ちなみに、渡航のお金は、200万円くらい持っていきました。100万円でもいけたと思いますが、仕事が決まらないと怖いので、多めに。カード(WiseとPrestia)と、現金を少し。この準備は、しておいてよかったです。
BLUE CANVAS編集部
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フランス・パリでの経験と障壁

パリの家探しは、本当に大変でした。「向こうに行って、見てから決めたほうがいい」と言われて、家を決めずに行ったんですけど、これが全然決まらなくて(笑)。最初、パリの少し郊外に、Airbnbで2週間。それでも見つからず、2段ベッドが並ぶような、謎のホテルみたいなところに、さらに2〜3週間。結局、日本人が家の情報を載せているサイトで、「住む人を探しています」という方を見つけて、やっと入居できました。着いてから、1か月くらいかかりましたね。これから行く人には、「家は、先に確保しておいてもいいかも」と、伝えたいですね。
パリで知った、ヘアの奥深さ

パリでは、11ヶ月ほど、Jacques Moisant Paris という、日本人が多く働く美容室で働きました。そこで働きながら、ファッションウィークのバックステージや、撮影の現場にも入っていきました。
パリで、一番衝撃だったのが、「ヘアって、こんなに奥が深いんだ」ということ。日本にいたころは、基本的に、日本人の髪の毛しか触っていなかったんです。同じようなプロダクトを使って。でも、海外に行くと、カーリーヘアの人、ウェイビーヘアの人、アフロの人…本当に、いろんな髪質の人がいる。そして、たとえば同じカーリーヘアでも、「どのプロダクトを使うか」の種類が、ものすごくたくさんあるんです。ウェットに見せたいのか、ドライに仕上げたいのか、ほとんど何もつけていないように見せたいのか。その中間も、いくつもある。
想像を超えていたバックステージ

バックステージでは、スプレーの使い方も、桁違いでした。日本だと、仕上げに軽く使うくらいなのに、こっちは、髪のパート毎に分けては、スプレーして、また分けては、スプレーみたいな。それを繰り返して、ポニーテール一つを、完璧にまとめあげる。ポニーテールにしても、位置はどこか、ジェルかワックスかスプレーか。今まで、そこまで考えたことがなかったので、「私、アシスタントでそれなりにできると思っていたけど、何も知らなかったな」と、思い知らされました。
ファッションウィークの掴み方

「ファッションウィークのバックステージって、どうやって入るの?」と、よく聞かれます。これ、本当に、地道なんです(笑)
まず、ヘアとメイクで担当が分かれているので、どちらでいくか決めます。私は、ウィッグを作るのが好きだったので、ヘアにしました。向こうには、ヘアメイクの事務所がたくさんあって、ホームページに連絡用のメールアドレスが載っているんです。だから、その事務所を全部調べ上げて、片っ端から、連絡しまくる。ほとんどは、無視されますけどね(笑) でも、たまに返ってくるところに、「ファッションウィークに入りたいんです」と送ると、「この日のショー、行けますか?」と、返ってくることがある。それを、ひたすら繰り返す。
もう一つが、インスタです。好きなヘアスタイリストさんや、日本人の方に、直接DMを送る。「今パリでアシスタントをしていて、機会があれば、バックステージに入らせてほしい」と。そのときに、絶対にやったほうがいいのが、ポートフォリオ(作品集)を一緒に送ること。「アップスタイルも、ダウンスタイルも、全部できます」と、自分に何ができるかを、はっきり提示する。それはすごく重要なアプローチですね。
そして、憧れのニューヨークへ

パリのワーホリが終わりに近づいたとき、「このままパリで働くビザを取るか、それとも、ずっと夢だったニューヨークに行くか」で、迷いました。でも、「一度でもニューヨークに行きたいと思ったなら、行こう!」と決めました。
日本に帰国する前に、一度、旅行でニューヨークに行ったんです。そうしたら、たまたま、ニューヨーク・ファッションウィークの時期で。パリでの繋がりをたどって、いくつかのショーに入ることができました。そのバックステージで、運命の出会いがあったんです。
思いがけない出逢い
バックステージで、私が近くにいた日本人の方と、「パリに住んでたんですけど、ニューヨークで働きたくて」という話をしていたら、たまたま、横にいた女性が、「え、パリに住んでたの?」と。それが今、私が働いているON-SESSIONというサロンのオーナーの RITSUKOさんでした。
「ニューヨークで働きたいんですよね」と相談したら、「んじゃうちで働いてみる?もう店ができて1年ぐらい経つから、ビザのお手伝いもできると思うよ。」と。その後、旦那さんのTSUKIさんも呼んでくれて、3人で、15分くらいバーッと話して、「じゃあ、やってみようよ!」と。もう、そこで決まったんです。本当に、ラッキーでした。それで、ビザにトライすることを決めて、日本に帰りました。
O1ビザ|アーティストビザという、高い壁

ニューヨーク 美容師で働くには、O1ビザという、アーティストビザを取らなければいけません。これが、本当に大変でした。サロンがスポンサーになってくれたんですけど、最終的には、自分の実力で取るビザ。雑誌に載ったクレジットや、コンテストの受賞歴。そういう実績が必要になります。
それに加えて、「ジョブレター」という推薦状のようなものが、3通必要でした。信頼関係のある方に、「この子は、これからこういう仕事を一緒にする予定です」というように、書いてもらう。全部「これからの予定」なので、少し先の話を書いてもらう形なんですけど、信頼がないと、書いてもらえないものです。
お金も、本当にかかりました。弁護士さんへの申請費用などで約110万円程、さらに、早く結果が出る「エクスプレス」正式には Premium Processing(特急審査)という申請に約45万円程。今、審査の窓口が減ってしまって、1年経っても結果が来ない人もいるんです。だから私は、2週間くらいで結果が出るエクスプレスを使いました。渡航のお金とは別に、ビザだけで、これだけかかる。ここは、正直にお伝えしておきたいですね。
ニューヨークでアーティストやクリエイターとして働く方法の一つが「O-1Bビザ」
受賞歴、メディア掲載、有名企業との仕事など、業界で評価されている実績が求められます。
ESTAや観光ビザでは、アメリカで通常の仕事をして報酬を受け取ることはできません。
詳細:USCIS公式情報
ニューヨークで働く、今。

2025年の7月から、ニューヨークで働いています。今のサロン、ON-SESSIONは、コリアンタウンのあたり。週に4回程サロンに出て、それ以外の日は、撮影に行ったり、TSUKIさんのアシスタントに行ったり、自分のテスト撮影をしたり。
オーナーの、RITSUKOさんとTSUKIさんご夫妻は、お二人とも、すごい方なんです。RITSUKOさんは、サロンワークで、たくさんのお客さんを持っている。TSUKIさんは、撮影のほうで、世界的に有名な、選ばれた人しか入ることの出来ない事務所に所属している。方向性は違うけれど、二人とも、本当にすごい。そんな環境で、働かせてもらっています。
ちなみに、家探しは、ニューヨークも、とんでもなく大変でした(笑)。私、犬アレルギーなんですけど、いいなと思った家に犬がいてダメになったり。結局、ファッションショーの裏で知り合った日本人の友達の家が、たまたま空いていて、「1か月だけ」と言って住んで、結局1年いました。こっちは、シェアハウスの人が、すごく多いです。
言語の壁
語学のことも、正直にお話しします。フランスにいた頃、フランス語は、ちょっとやろうとして、結局諦めました(笑)今も、喋れません。英語も、最初アプリで勉強しようとしたけど、途中でやめちゃって。結局、サロンでお客さんと喋りながら、なんとなく分かるようになった、という感じです。髪のことや、「この間どこどこに行って楽しかった」くらいの話なら分かるけど、それ以上の込み入った話は、まだ難しい。
でも、なんとかなっています。撮影のバックステージは、みんな英語で喋っているので、フランス語は、いらないといえば、いらない。「絶対に語学ができないとダメ」ということは、ないと思いますが、ただもちろん、働きたい人はもちろんできたほうがいいですね!
NYに来るなら、スタイリストになってから

これからアメリカ・ニューヨークを目指す人に、私が言えるのは、「絶対に、スタイリストになってから来たほうがいい」ということ。特にNYでO-1ビザ(アーティストビザ)を取るには、美容師として5年以上の経験がないと取れないので、その為にも5年間の内にスタイリストになってからくるのが一番良いと思います。そうでなければ学生ビザになってしまって、公式には働けないんです。それに、こっちは、日本みたいに、手取り足取り教えてくれる人はいない。みんな、個人個人。だから、アシスタントで来ると、たぶん、働くサロンを見つけるのはかなり難しいと思います。
逆に、スタイリストにさえなれば、そんなにたくさん経験を積んでいなくても、大丈夫だと思います。私自身、日本でスタイリストになってから、ずっとフリーランスみたいな感じで、誰かに教わるでもなく、手探りで、ここまで来たので。それに、海外で、居酒屋やレストランでバイトをするくらいなら、絶対に、スタイリストになって、美容師として働いたほうがいい。チップもすごくもらえるし、何より、「なんで海外に来たんだろう」というマインドに、ならずにすみます。「美容師をやっていて、よかった」と思えるし、「撮影もやりたい」という次の夢も、見えてくるので。
撮影で、世界的なキャンペーンを

これからの夢は、はっきりしています。サロンの仕事は、少しずつ減らしていって、撮影のほうに、もっとシフトしていきたい。撮影で、自分の作りたいものを作って、それが誰かに喜ばれて、お金を稼いで、ご飯が食べられる。そんな働き方が私の理想です。
今は、ショーや撮影のアシスタントもやっていますが、そうじゃなくて、自分で仕事を取って、大きなことをやりたい。たとえば、シャネルや、ヴィトンのような、世界中のどこでも見られるような、大きなキャンペーン。それをやるのが、今の私の、一番の夢です。
BLUE CANVAS編集部
「私のほうが上手くできる」という、高校生らしい好奇心から始まった彼女のキャリアはいつしか、パリとニューヨークという、モードの本場へとつながっていきました。インスタでDMを送り、ポートフォリオを握りしめて、憧れの現場に飛び込んでいく。彼女の歩みは、「サロンで働く」だけが、海外美容師の道ではないことを、教えてくれました。目指すのは、世界の誰しもが目にするキャンペーン。その夢に向かって、彼女は今日も、ニューヨークの現場で働いています。
森本 知有希 (モリモト チアキ) 1996年生まれ|大阪出身
アメリカ・ニューヨーク|ヘアメイク・美容師
日本で美容師としてデビュー後、ヘアメイクの師匠に師事。独立してフランス・パリへ渡り、現在はアメリカ・ニューヨーク 美容師としてサロンワークとヘアメイクの撮影の両方で活動中。











